僕ったら生まれてから云十年、今住んでる町を出たことがありません(住まいという意味で)。
その中でいろいろな場所のいろいろな景色がいろいろな様子に変わっていく姿を見ていきました。
とりわけ「お店」というのは変わりやすいものの一つと言えるでしょう。
実家近くのファミリーマートはもうないし、お釣りを投げ渡された本屋さんもない。
町唯一のモスバーガーもなくなったし、初めての彼女へのプレゼントを買った雑貨屋さんもない。
しかしながら、ずっと変わらずそこにあるお店というのもあります。
家族で行ったあの中華屋さんはまだあるし、同級生のお母さんがやってる美容室もまだある。
父がよく立ち寄った酒屋さんもあるし、テレビで特集された経験のあるハンバーグ屋さんもまだ健在です。
それらがどうして残っているのかと言ったら、やっぱりそれだけ売れているからでしょう。
店主の気合だけではどうしようもないもので、その場で長く続けるにはそれだけ売れなければならない。
そういうご長寿なお店の中に、一度も行ったことのないお蕎麦屋さんがありました。
幼少期の頃からそこにある記憶はあるけれど、一度も入ったことがない。
もしかしたら家族で一度くらいは行ったことがあるのかもしれないが、そうだとしてもその記憶がないほどのずっと遠くの幼き思い出です。
最近お蕎麦熱が沸々と沸いてきた僕は、満を持してそのお店に行ってみることにしました。
ずっとここにあるんだし、さぞ美味しかろう、と。
そうしたら、確かに美味しい。
美味しいんだけれど、それ以上に居心地の良さに心を打たれたのでした。
門構えから始まり、のれんをくぐる感じと、出迎えてくれる奥さんの雰囲気。
席について、昔ながらのお蕎麦屋さんを思わせる店内を見て、ホッと一息もつく。
あ、こんなに良いお店がこんなに近くにあったのか、と思いました。
僕等は、少なくとも僕は、近くより遠くに行ったときに入ったお店の方が美味しいと感じがちで、それはある種の「有難味」のようなものだと思うのです。
トラベルハイとでも言えばいいでしょうか、近くにあるものはいつでも行ける、いつでも行けるから有難いという言葉は似つかわしくない、やっぱり旅先で食べてこその有難味さね、なんて。
でも、そんなことはないだろう、と昨日思いを改めたのでした。
美味しいものは美味しいし、良いお店はどこにあっても良いお店である。
そんな風に思えるお店が近くにあるなんて、それだけで幸せではあるまいか。
むしろそれこそが本当の有難さでしょう。
遠くに探しに行けば、それはどこかには良いお店はあるが、それが遠くに行かずとも、近くにある。
なるほど、有り難し。
距離感に左右されない有難き存在に、私もなりたい(飛躍)。
おしまい