しんぷる・が・べすと

「愛に時間を」

失った信頼を取り戻すのは得てして難しい

昨日、人を轢きそうになりました。

通勤時に。

それが凄く心に残っていて、いや、そりゃ残ってないとおかしいんだけど、多分僕は人一倍引きずるタイプだと思うのです。

しばらく放心状態、と言ったら言い過ぎかもしれませんが、頭の中で「あれ、タイミングによっては轢いてたな」「なんであんなことしたんだろう」「どうして自分はこんなにポンコツなんだろうな」みたいなネガティブな気持ちになったのでした。

 

でも考えようによってはこれってポジティブなんだろうな、ともまた思います。

というのも、そのネガティブな気持ちの根源は「もっと自分はやれる」、あるいは「自分はやれてる」と思っていた、というところだと思うからです。

できると思っていたのにできなかった。

やれると思っていたのにやれなかった。

そういうポジティブ、というか自信とのギャップによってネガティブな気持ちは生まれたのではなかろうか、などと思うのです。

 

そして悔しいのは、その轢きかけてしまったその相手は、心底僕のことを「馬鹿野郎がこのクソ野郎」と思ったであろうことです。

よりにもよって会社の前で、相手もまた通勤途中のようで、恐らく朝にすれ違うタイミングは多い。

なんなら気付いてないだけで今までも何回もすれ違っていたのかもしれない。

そうなると、恐らくあの人はうちの会社の前を通るたびに「あ、あのクソ運転手今日も出社してやがんなクソが」「おいみんな!あの車の運転手、運転がクソみたいに荒いからクソ気を付けるんだぞ!」なんて言いふらすのではないか、そんなことはないか。

 

しかし一応言っておくと、その時はうっかりと注意がおろそかになってしまっただけなのです。

いやそれがつまりいけないんだけど、でも普段は割と結構安全運転をしてるつもりです。

少なくとも一時停止でちゃんと止まるし、基本的に歩道またがないし、無理な車線変更だってしない。

何回もの成功の中に1回の失敗が出てしまっただけだと思うんだけど、あの人の中の僕の印象はその1回で十分悪いんだろうな、なんて思うのでした。

 

そう考えると、僕があの日見た、あの時の、あの人の、あのクソみたいな運転は、僕みたいにたまたま出た1回の失敗だったのかもしれない。

いつもは丁寧で、安全で、安心でいるのかもしれない。

あの時はうっかり手が滑っただけなのかもしれない。

 

それだったらば、疑って申し訳ない。

 

世界が平和になるといいですね(気を付けろ

 

おしまい