せっかくのお休みにダラダラはありえない

昨日はお休みでした。

少し突発的なお休みでしめしめと思ってたのですが、実際に過ごしてみたらそれはそれはもう怠惰な一日を過ごしてしまったものです。

何か具体的な話をしようと思っても何も書けないくらい怠惰でした。

一体何故このようなことになってしまったのか、少し自分なりに考えてみたいと思います。

 

まず、やりたいことが多いのです。

あれもしたいしこれもしたい、もっとしたいもっともっとしたいーという欲求が僕にはあるのです。

具体的にはギターを弾いたり読書をしたりカフェに行ったり映画を観に行ったり家で観たりお蕎麦を食べに行ったりからあげを食べに行ったりマックでくつろいだり野山を駆け巡ったり住宅街を散歩したりなどなどなど。

 

そして実際にはこれらに加えて、別にやりたいわけではないけど選択肢としてはある、といったものもあります。

例えばお昼はコンビニ飯で済ませてしまうだとか、ダラダラとYouTubeでも見て過ごすだとか、仕事柄ある資格を取ることになっているのでその試験勉強だとか(勉強はしたくないでござる、絶対にしたくないでござる)。

 

やりたいことに加えて、休みの日にできる堕落した生活スタイルが選択肢としてチラつき、結果的に頭の中の情報が雑多になって思考停止、何を選択するでもなくダラダラと一日が過ぎていってしまった、と考察しております。

いわゆる選択のパラドックスが起きてしまった。

 

であるからして、今後は例えば前日にある程度休みの予定を組んでみようかなーと考えておりました。

突発的でなければなんとなく漠然とした「こんな風に過ごそう」ということは思い描けても、突発的だと「え?やった!休みになった!何をしよっかな」とルンルン気分のまま当日になってしまう(なんかアホっぽい)。

 

やりたいことがむしろあんまりない人、あるいは強烈にやりたいことが1つないし2つある人にとっては全く共感できない話しでしょう。

前者はダラダラしてなんぼでしょ!って感じでしょうし、後者はやりたいことが一貫してるから迷わない。

 

僕みたいな人は要するに全部大事に思えてしまうんだと思います。

あれもしたいは「あれも大事」、これもしたいは「これも大事」という表れだと思うのです。

アルミンが言っていましたね、大事なもののために何かを犠牲にできない人は結局何も成し遂げられない、みたいなことを。

僕はきっとそれが苦手なのです。

 

でも選択しないと何もできない。

選択は、同時に何かを諦めること。

そのことを努々忘れてはならない。

 

その覚悟がないと全部やろうとしてあっぷあっぷしてしまうのでしょうね。

二兎追うものは一兎も得ず、言い得て妙です。

 

おしまい