しんぷる・が・べすと

日記、のつもりが

岩手県ってでっかいな

昨日は車を計10時間くらい運転しておりました。

10時間というのは僕の長いとも短いとも言えないなんとも微妙な人生の中で最長記録だったと記憶しているのですが、睡眠時間を仮に6時間としたとして一日の残った時間は8時間程度。

食事に使った時間や排泄に気張った時間、その他お出掛け準備等々諸々の時間を加味すると、自由な活動時間はせいぜい6時間、どんなに長く見積もっても7時間といったところでしょうか。

あと一回寝たら一日終わる。

 

そんな長い時間を掛けてどこに行ったのかというと岩手県に行ったのでした。

最初の目的地は『龍泉洞』という鍾乳洞。

国道45号線を約4時間掛けて行き、ひとしきり堪能してそれから盛岡にある『盛岡動物公園ZOOMO』を目指したのですが、そこでも2時間くらい掛かりました。

帰りは高速でさっさと帰るか下道でまったり帰るか少し悩んだのですが、個人的趣味嗜好から後者を選び、またまた4時間掛けて宮城に帰ってきたのでした。

 

岩手県はでっかい。

47都道府県の中で北海道の次にでっかいだけあって、地図上で近くに見える場所も実際に車を転がすと遠いのなんの。

龍泉洞』から『ZOOMO』に向かうのだって、感覚的には仙台市から石巻市に向かうくらいの覚悟だったのですが、掛かった時間は約2倍。

 

いや、でもそれは龍泉洞~ZOOMOが山道に対して、仙台市石巻市は街道というのも両者の違いの要因か。

 

まあなんにせよ大きいのです。

どれくらい大きいかというと、東京・千葉・神奈川・埼玉を合わせたよりも大きいらしいです。

四国よりちょっと小さいくらい。

 

まだまだ行き足りないけれど、それを行ったら福島も山形もあるし、何より宮城県内だってまだまだ行ってないところがある。

人間ってきっと満足しないんでしょうね。

 

おしまい

僕が思う神社の魅力

今日は仕事で近くを通ったので、休憩がてら「宇那禰(うなね)神社」に行ってきました。

 

敷地の広さとしてはあんまり大きな神社ではないけれど、樹齢300年クラスの御神木がぼんぼん生えてるのが(個人的に)魅力の神社です。

 

こちらの御神木はスギがケヤキに抱きつかれてる大変ユニークな構図になっています。

 

あちらの大木はピサの斜塔の如く、斜めに生えています。

 

これだけ斜めになっても倒木することなく何百年も育ち続けられるのは、それだけしっかりと根が張られているからと言えるでしょう。

自然の力って偉大ですね。

 

こちらの枝は一旦下に伸びているのに、途中から何を思ったのか真上に伸びています。

偉大で、不思議ですね。

 

こちらのお花はなんでしたでしょうか。

お花の知識はめっぽう弱いのですが、大変良い香りが漂っておりました。

それを感じられただけでもここでは良しとします。

 

大木とは違った魅力も感じるところです。

 

おまけ「アリジゴク」

激戦区。

 

―――――

 

正しい神社の楽しみ方と言いますか、参拝の作法とはかけ離れた話になるかもしれませんが、各地で都会化が進む昨今、こういうような自然溢れる場所というのは貴重なように感じます。

もちろん車を転がせばそこら中に山や森はまだあるわけですけれども、こういったように気軽に散策できる山や森となると見付けるのはなかなか難しい。

そういった観点から、僕は神社が好きです。

人里離れていない気軽で安全な場所で、偉大でユニークな自然を享受できる。

「神社」という形で自然を守ってきた先人様方に感謝ですね。

 

作法のお勉強でもしようかしら。

 

おしまい

せっかくのお休みにダラダラはありえない

昨日はお休みでした。

少し突発的なお休みでしめしめと思ってたのですが、実際に過ごしてみたらそれはそれはもう怠惰な一日を過ごしてしまったものです。

何か具体的な話をしようと思っても何も書けないくらい怠惰でした。

一体何故このようなことになってしまったのか、少し自分なりに考えてみたいと思います。

 

まず、やりたいことが多いのです。

あれもしたいしこれもしたい、もっとしたいもっともっとしたいーという欲求が僕にはあるのです。

具体的にはギターを弾いたり読書をしたりカフェに行ったり映画を観に行ったり家で観たりお蕎麦を食べに行ったりからあげを食べに行ったりマックでくつろいだり野山を駆け巡ったり住宅街を散歩したりなどなどなど。

 

そして実際にはこれらに加えて、別にやりたいわけではないけど選択肢としてはある、といったものもあります。

例えばお昼はコンビニ飯で済ませてしまうだとか、ダラダラとYouTubeでも見て過ごすだとか、仕事柄ある資格を取ることになっているのでその試験勉強だとか(勉強はしたくないでござる、絶対にしたくないでござる)。

 

やりたいことに加えて、休みの日にできる堕落した生活スタイルが選択肢としてチラつき、結果的に頭の中の情報が雑多になって思考停止、何を選択するでもなくダラダラと一日が過ぎていってしまった、と考察しております。

いわゆる選択のパラドックスが起きてしまった。

 

であるからして、今後は例えば前日にある程度休みの予定を組んでみようかなーと考えておりました。

突発的でなければなんとなく漠然とした「こんな風に過ごそう」ということは思い描けても、突発的だと「え?やった!休みになった!何をしよっかな」とルンルン気分のまま当日になってしまう(なんかアホっぽい)。

 

やりたいことがむしろあんまりない人、あるいは強烈にやりたいことが1つないし2つある人にとっては全く共感できない話しでしょう。

前者はダラダラしてなんぼでしょ!って感じでしょうし、後者はやりたいことが一貫してるから迷わない。

 

僕みたいな人は要するに全部大事に思えてしまうんだと思います。

あれもしたいは「あれも大事」、これもしたいは「これも大事」という表れだと思うのです。

アルミンが言っていましたね、大事なもののために何かを犠牲にできない人は結局何も成し遂げられない、みたいなことを。

僕はきっとそれが苦手なのです。

 

でも選択しないと何もできない。

選択は、同時に何かを諦めること。

そのことを努々忘れてはならない。

 

その覚悟がないと全部やろうとしてあっぷあっぷしてしまうのでしょうね。

二兎追うものは一兎も得ず、言い得て妙です。

 

おしまい

独りっきりのお蕎麦屋さんで

昨日お蕎麦を食べに行きました。

たまに行くお蕎麦屋さんなんだけれど、土日のお昼時だろうと混雑することはほとんどなくて、平日ともなるとすっからかんで少しだけ心配になるお店です(経営的な意味で)。

 

昨日だって僕が行ったときはおじさん一人しかいなくて、僕とおじさんの二人っきりだったのだけれど、途中でおじさんが帰っちゃったものだから、僕はついに独りっきりになったものでした。

店内は音楽も掛かってないし、テレビの類もない。

静かなもので僕は独り窓の外を見て、降りしきる雨の行方を追っていました。

 

なんとも寂しい光景でしょうが、このお店においてはこの時間が僕は好きなのです。

前に行ったときは入店から退店まで独りだったこともあります。

寂しい気持ちが全くないと言えば嘘になるけれど、音の無い環境で座って何かを独り待つというのは、今の時代なかなか経験することではないのではないでしょうか(田舎のことは知らないけど)。

どこもかしこも音だらけです。

 

僕が所有するポケットワイファイも繋がらない場所だからスマホもいじらない。

いつも本とかノートを持っていって、読んだり書いたりしています。

それからふと顔を上げて、なんとなく外を見るのです。

お世辞にも景色が良いとは全く言えないんだけれど、ゆっくりとした時間を堪能できる。

 

みんなにこのお店を知ってほしいような気もするし、知らないままでいてほしい気もする。

そんな複雑な気持ち。

 

ちなみに初めて鴨南蛮そばというのを食べたんだけど、めちゃくちゃ美味しかったです。

ごちそうさまでした。

そばでした。

 

おしまい

腸の検査をした汚いことにも多少触れる話

とか言って、あれから何日が経ったのでしょうか。

 

お元気でしたでしょうか?

僕は便秘です(ガキか

 

冗談はさておき、本当に最近腸の検査をしました。

いわゆる健康診断で引っ掛かっちゃいまして、腸の検査をすることになりまして、下の方の穴からガスを注入するっていうある種の拷問みたいな検査を人生で初めて受けてきました。

当然穴の中の方はすっからかんにしなければならないですから、中を綺麗にする為に全部出す為のPPキャンディみたいな効果のあるものを摂取してですね、お腹の方をウーロンよろしくゴロゴロ雷様のように鳴らしたもんで、出てきたものは土砂降りの雨って感じでまあそれはそれは凄かったですよ。

 

汚くてすみません、お食事中でしたか?

お食事中にまさかスマホをいじってるお行儀の悪い人なんてここにはいないと思うので、大丈夫でしたかね。

 

サイヤ人のポットに乗るような格好で、孫悟空のような尻尾を生やしたような状態にされて、エネルギー弾かのような勢いでガスを注入されて、最後は舞空術で空を飛んでいくかのような格好で検査器を通過しました。

 

その結果が晴れて今日出たわけですが、多少のうんカスは見受けられたようですが、大事には至ってないということで事無きを得たってものです。

 

人生、何事も経験です。

 

でももう経験したくないなっていうのが本音。

 

でも経験しないと、経験したくないっていう気持ちは本当じゃない。

食わず嫌いは良くない。

食って嫌いなら、それは嫌いだが、食わずに嫌いなら、それは恐れでしょう。

 

嫌いはあってもいいが、恐れてばかりでは物事が進まない。

 

そんなようなことを自分に言い聞かせて、色々やってみたいものですね。

もちろん自分なりの限度はあるけれども。

 

おしまい

いつまで掘ればいい

今日は少しのんびり書きたい気分なので、特にテーマを決めずつらつらと書いていこうと思います。

どうして気分というものがあるのだろうか、なんて思うものです。

三日坊主なんて言葉もありますが、なんで三日で坊主になるのでしょうか。

ちなみにこのブログは大体2週間くらい毎日投稿を続けていますから、三日ではなく二週間坊ちゃんって感じになると思うんですけれども、こうして騙し騙し継続している次第であります。

 

頑張りどころ、というのは見極めが難しいなと思うことがよくあります。

頑張って続けた先で成しえることっていっぱいあると思うんですけれども、その頑張りはいつまで続ければ良いのでしょうか。

海賊王に、おれはなる!って言って海を飛び出して、果たしていつまで海賊王を目指せば良いものでしょうか。

お爺さんになっても目指すべきでしょうか。

「いつかきっと夢は叶うから」

なるほど、まだ叶っていないだけで、これから叶うのかもしれない。

でもそのこれからはいつ来るのだろうか。

 

僕の好きな曲にBUMP OF CHICKENの「Ever lasting lie」という曲があります。

愛する人の為に夢を掘るんだけど、夢を掘ることに夢中になり過ぎて、愛する人の存在を忘れてしまい、最後には「なんの為に掘ってたんだっけ?」といった感じで終わる、なんだか切なげな曲です。

 

せっかくなので紹介しておきます。

 

Ever lasting lie / BUMP OF CHICKEN

 

このお爺さんになってしまうかもしれない。

 

友達が「仕事が辛い」と言います。

辛いなら辞めるべきでしょうか、それとも今は耐え時でしょうか。

耐えるならいつまで耐えるべきでしょうか。

感覚がマヒするまででしょうか。

 

壁にぶつかった時、僕達はそれをどう乗り越えるべきだろうか。

あるいは引き返すべきだろうか。

 

しかし一つ間違いなく言えることは、何かに秀でた人、一流の人、アーティストと呼ばれるような人達は、きっとどこかで壁にぶつかってそれを乗り越えてきた人達なのでしょう。

 

ボクシング漫画の『はじめの一歩』の鴨川会長もおっしゃっていました。

努力した者が全て報われるとは限らん

しかし!

成功した者は皆すべからく努力しておる!!

『はじめの一歩』より

 

良い言葉である。

必ずしも成功する必要はないとは思うけれど、何かを成し遂げたいと思うのであれば、そこに努力はやっぱり必要でしょう。

 

この騙し騙した記事が果たして努力に値するかは微妙なところですが、気分が乗らないというだけで投げ出さなかった自分を褒めてあげたい。

でも多分、こうやってテーマを決めて書かない方が性に合ってるのだと思います。

気分が乗らないとか言いながら、いくらでも書けそう。

 

肩肘を張って、上手いこと書いてやろうみたいなよこしまな思いで満ち溢れた記事に面白味はなく、思うままに筆を走らせるくらいがもしかしたら良いものでしょうか。

まあブログだし、もう少し気を抜こうかしら。

 

未だ模索中。

 

とりあえず今日はこの辺で。

 

ノシ

 

おしまい

BBQのにおいが「怖い」に至るまで

昨日は会社の人とBBQをしてきました。

BBQって遊びも兼ねたお食事会って感じで、食べ物は美味しい物が用意されがちだし、雰囲気も大体楽しい感じになるものだから、僕は誰かにBBQに誘われれば基本的に参加します。

要するに好きな催しです。

 

昨日もひとしきり楽しんだ後、家に帰ってきて落ち着いた頃、ふと衣服に染み込んだBBQの炭の臭いが鼻をつきました。

この時、一般的にはどのように感じるものでしょうか。

楽しい思い出に耽り、一人ニヤニヤするものでしょうか。

 

僕にとってBBQの臭いは、少し嫌な臭いだったりします。

 

 

僕がまだ小さかった頃から高校を卒業する頃まで、父は僕達家族をキャンプに連れて行ってくれました。

少なくとも年に1回は連れて行ってくれていたかと思います(今でも家族でBBQはします)。

 

キャンプに行けば必ずBBQをしますから、僕にとってキャンプ=BBQというようなイメージがあります。

そしてそれはつまり逆も言えて、「BBQのにおい」は僕にとって「キャンプの思い出」でもあるのです。

 

それが何故「嫌な臭い」になるのかというと、別段キャンプ自体に嫌な思い出はありません。

家族みんなでワイワイ楽しんでいたし、空いた時間には川で遊んだり、虫捕りをしたり、魚を獲ったりしたもので、それはどれもが楽しい思い出です。

 

じゃあどこに「嫌」という感情があるのかというと、ドラマにあります。

当時サスペンスドラマを子供ながらに観ていた僕は、ある怖いシーンが頭から離れませんでした。

それはどんなシーンかというと、キャンプをしていた登場人物が夜寝ている最中に、殺人犯にお腹を刃物で滅多刺しにされるというものです。

描写がとにかく気持ち悪かったし、単純に怖いし、犯人像もぼかされて気味が悪いものだったから、子供の僕はそれが強烈に残ってしまったのです。

 

だから、キャンプに行って寝る時に、いつもこのシーンが頭を過ぎるのでした。

ドラマはあくまでも作り物であることはわかっていたし、家族みんなでいるし、頭では大丈夫なことはわかっている。

でも心の底では何かそういう「殺されるかもしれない」という恐怖心を漠然と抱いていたのだと思います。

 

つまり「キャンプ」には「怖い」というイメージも僕にはあるのです。

そうすると僕の中で「BBQ」がキャンプと確かな繋がりを持っていますから、以下の式が出来上がります。

 

BBQ=キャンプ=怖い

 

こうしてBBQのほのかなる臭いを嗅ぐだけで、キャンプの思い出が鮮明に蘇り、巡り巡ってサスペンスドラマの怖いシーンにまでイメージは至るのでした。

といってもこれは直感的なものであり、ほぼ瞬間的にイメージされます。

ともすると、これはもうほとんどトラウマというものだと思うのです。

 

 

これが悔やまれてならない。

僕にとってキャンプそのものは本当に楽しい思い出であったはずなのにも関わらず、全然関係のないサスペンスドラマによってそこに黒い影が残ってしまった。

 

しかもそれは楽しいBBQの度に思い出す。

あれさえなければと思えてならない。

 

子供って本当に繊細だから、大人は注意して見てないといけませんね。

過保護が過ぎるのも考え物だけど、選べない子供にはやっぱり保護者が必要でしょう。

 

それが難しいんですけれどもね。

 

おしまい