しんぷる・が・べすと

「愛に時間を」

何かで1位が幸福とは限らない

車で移動中、ふと中学生が部活動に励んでる姿を見て気になったことがあったのでちょっとだけ書こうと思います。

 

前々回の文章で「幸せ」について書きました。

内容としては「なりたい自分になるために生きることが幸福へと続くのではなかろうか」というような大それたものだったわけですが、中学生たちを見て思ったのです。

 

もしかしたら前の書き方だと「『なりたい自分』というものが『何かで一番になること』だとしたら、結果的に幸せになるのは一番になった人だけなんじゃねーの?」と思う人がいるかもしれないな、と。

 

つまり、幸福になれるのは1位だけで、2位とか3位では幸せになんてならないんじゃないか、と考える人がいるかもしれないな、と思ったわけです。

それについての補足になります。

 

まず、何かで一番になるということは相対的なものです。

僕も技術的なことで日本で一番になったことがある口ですが、何かで一番というのは、極論周りがしょぼかったらなれるものですから、自分が変化しなくてもなれる可能性があるものになります(あくまでも極論)。

 

テストで60点を取ったとして、平均点が40点だったらホッとするし、平均点が80点だったらギクッとするようなものです。

60点そのものは変わらないのに。

 

そういう考え方ではなく、僕が幸福を語る上で言う「なりたい自分」というのは、この「60点」という点数そのものを上げる、という意味になります。

60点から70点、70点から80点、それを繰り返したらそのうち100点満点になれるんじゃん?みたいな至極単純な考え方です。

 

そうやって、相対的な順位を気にするのではなく、絶対的な能力値を見ようという話です。

そしてその営みが人生の充実さを生み出すのではなかろうか、というのが主張になります。

 

そういう意味で言えば、僕が技術的なことで求めたのは「完璧」でした。

便宜上「目標は日本一になることです」みたいなことをどこかで口走った可能性はありますが、それが最たる目標というわけではありませんでした。

あくまでも目指したのは完璧で、その完璧具合をチェックするために催しがあり、結果として順位が付けられる、というのが世の中の大会やテストの(本来の)意味だと僕は思っています。

 

仮にそれで結果1位ではなく2位だったとしても、それは自分よりも完璧に近い人が一人いたんだな、という状況確認になります。

もちろん悔しいは悔しいだろうけれど、それで今までやってきたことが全て無意味だったかと言ったらそうはならない。

 

し、1位になったからといってそこで終わりというわけでもない。

今自分が先頭走者なんだな、というこれも状況確認です。

完璧とは程遠いので、また走り出します。

 

なんでも、オリンピックで金メダルを取って鬱病になる人もいるらしいですが、それは結果を求め過ぎたからなのではなかろうか、などと個人的には思います。

一番だけを目指して一番になっちゃったら、そこでその人のスポーツ人生は終わっちゃうだろうから。

ともすると、結果は必ずしも幸せをもたらさない。

 

 

もう一つ補足です。

「なりたい自分」というのには、技量的な問題に限らず、「優しくなりたい」みたいなものも含まれると考えています。

 

だから、例えばダイエット中の人で「お菓子を食べたい」という気持ちはあっても「お菓子を食べる自分になりたい」と思う人はいないと思うし、優しいにしたって「別に優しくなりたいなんて思ってねーし」という人はいても「これ以上優しくなりたくないんだよねー」なんて積極的に思う人はそうそういないと思うんですね。

 

つまるところ、「したい」という気持ちは平気で人に悪いことをさせるけど、「なりたい」という気持ちはおおむね善い方向でしか考えられないのではないでしょうか。

「盗みたい」という気持ちは(世の中に)あっても、「泥棒になりたい」という気持ちは(一般的には)ないでしょう。

 

かつてBUMP OF CHICKENの藤原さんは「優しくなりたいと願う君は誰よりも優しい人」と歌いましたが、一理あるなと思います。

まずは何事も「願う」ことからなのかな、と(でもそれだけで「誰よりも」ということはないでしょうね)。

 

ちなみにぼくは「自慢の○○」になりたいなーと思っています。

自慢の友達、自慢の息子、自慢の兄弟、自慢の彼氏(夫)、自慢のお父さん、自慢の先輩、自慢の後輩、自慢の社員、自慢のエトセトラ。

 

それは単なる承認欲求から来るものかもしれませんが、でも自慢してくれるなら結果的にその人にきっと良い影響を与えられてると考えていいものだと思うから、その気持ちだけで十分なように思われます。

 

この文章もその一環の一部だと思ってもらっていいでしょう。

 

役立つようなら幸いです。

 

おしまい